活動報告

私たち東京武蔵野中央ロータリークラブは、さまざまな職業のメンバーが
その経験と知識を生かして社会奉仕活動や人道的活動に取り組んでいます。

「イニシエーションスピーチ」(2020/8/20)

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臺 孝之会員(2020年7月入会)

先ずは、父親が生前中、皆さまには大変お世話になりました。早いもので亡くなってから、6月で一年が経ち、一周忌の法要、先月には新盆の供養を無事に終えることができました。父親は地元で様々な団体で活動を行っておりましたが、唯一最後まで続けていたのがこのロータリークラブであります。ですから、私がこの場で、挨拶をすることに関しまして非常に感慨深いものがございます。

また、入会するにあたり、多く方からお声がけいただき感謝申し上げます。入会希望理由といたしまして決して、プレッシャーに耐え切れず、脅かされて入会したわけではございません、自分の意思で入会いたしましたので安心して下さい(笑)

さて、スピーチになりますが、今まで生きてきて特別何かを極めたとか、凄い趣味があるとか特に無く、普通に生活していた中で、振り返れば私自身に影響を与えてたであろう経験をお伝えできればと思います。

私は1971年、昭和46年12月6日、台家の三男として武蔵野市中町で生まれました。母親は女の子がほしくて・ほしくてしょうがなかった様ですが、私が生まれてきてしまいました。

小さい頃は、母親から「女子だったら何でも買ってあげた」とよく言われましてけれども私は子供ながらに、何を言っているのだと思いましたね。ちなみに、「孝之」という名前は父親が名付け、当時社長の名前に孝之が多く、将来企業の社長になるくらい成長してほしいという意味があったそうです。また、私が生まれた年にウテナ産業(株)が設立されました。子供の頃は、親から細かいことを言われず、兄弟で3番目ですから、いい意味で自主性にまかせる、実際は手抜きとは言わないまでも親は自由にやれという心境だったと思います。

小学校・中学校は地元の井之頭小学校、武蔵野1中に進みまして野球に打ち込みました。その中で、団体行動・先輩後輩を学びました。一生懸命レギュラーを守り続けておりましたが、それには理由がございまして代打で出場しますと「代打 台」とコールされてしまい、相手チームのダッグアウトから笑い声が聞こえ、何かみっともない恥だなと思ったからです。この時初めて、「台」という珍しい苗字は困ったものであると感じました。後々「台」という珍しい苗字が私にとって様々な影響を与えます。

それから高校、予備校を挟み大学へと進学。大学生活では

私自身の価値観・考え方を形成する上で1つ目の大きな経験がございました。

それはバックパッカーの経験です。バックパッカーとはリュックサック一つで長期間海外を回ることです。アルバイトで費用を工面しアジアを中心に回りました。1回の渡航期間が約一か月。タイ、カンボジア、ベトナム、ラオス等、4・5回繰返し渡航しました。最初は仲間2・3人で行っていたのですが、長旅ですから長時間一緒にいますとだんだんと口も利かなくなり、すると些細なことで喧嘩になったりします。例えば、咳をする音や、いびき、髪をかき上げる仕草に腹が立ったりしてきます。この関係何かに似ておりませんか?これは夫婦関係と同じですね。夫婦の関係も口を利かなくなったら、会話が無くなったら終わりです(笑)どちらかが我慢しておりますと、最終的には爆発しますね。ですから最後の方は一人でバックパッカーを続けておりました。

大学卒業間近になりますと、周りではハワイやグアムへと卒業旅行の計画をしておりましたが、私は当然に一人のバックパッカーを選び、社会人になったらまず行けないであろうエリア・国を選びました。それは世界の火薬庫と言われた中東、その中でイスラエルを選びました。今となっては怖くて一人では行けませんが。

感想といたしましては、まさに紛争地域であると思い知らされた光景が目立ち、路線バスには必ず兵士が同乗しており、主要なポイントには検問所があり、何回もパスポートの提示を求められました。また、アジア人の観光客はほとんどおりませんので、不思議な目で見られたことを覚えております。バックパッカーを通して、本当に日本は安全であり綺麗であると再確認できました。日本で生まれて良かったとつくづく思います。イデオロギーの対立で隣国と紛争が起きることは、日本にいたら想像もできません。ある意味、日本には隣接した国が無く、島国という地理的条件だからこそ、幸せと繁栄を築くことがでたのかもしれません。

大学を卒業し、不動産会社に就職します。同時に父親からは「お前は跡継ぎではないから、一人で生きていけ」と言われ、実家を出て一人暮らしを始めたのもこの頃です。10数年間サラリーマン生活を送りまして、様々なことを経験し勉強をさせていただきました。業務内容につきましては、マンション・ビルの開発、ビルの買収、不動産ファンド組成等です。社会人となり珍しい苗字がよい方に作用してくれました。社内ですぐに名前を覚えてもらえ、営業先や初対面の方でも珍しい苗字ということで、会話の掴みにもなりました。

ここで私自身の価値観・考え方を形成する上で2つ目の大きな経験がございました。担当致しました、五反田のビル買収案件(事務所・住居混在型)になります。五反田というだけでクセがあり、怪しさを感じますね。会社の計画としては、ビルを改修・バッリューアップし収益性を高め投資家への転売です。先ずは入居者1件、1件オーナーが変わったことへのご挨拶並びに地位承継書面の取り交しです。中には賃貸借契約書通りに使用されていない方、全く連絡が付かない方、契約者本人が使用していない、賃料の滞納等々問題が散見されました。顧問弁護士との相談、興信所を使った徹底的な調査を行い退去前提で交渉を行いました。難易度の高い交渉もございましたが、全て無事に退去させることができ購入してから約1年かけて商品化にすることができました。私はこのビルを担当し、様々な人間模様、人間ドラマを見ることになりました。裁判所に何回も通い、内容証明のかき方も上手くなりました(笑)仕事なのだから、会社の指示なのだからしょうがないと割り切り、綺麗ごとや建前だけでは仕事はできない、泥臭いことを腐らず出来るか出来ないかが重要であると感じました。

まだ続きがございまして、数年後、このビルの件でお世話になりました会社の顧問弁護士の先生から、わざわざ会社に連絡がございまして、アフリカの旅行ツアーに参加したら、私の父親と偶然にも一緒だったと。先生曰く「参加者名簿を見たら、武蔵野市の台って珍しい苗字だから。もしやと思い声を掛けたのだよ。息子さんがある会社で働いていないかと。そしたらあなたの親父さんだった。五反田のビルの件ではよくやっていたと褒めといたから」とのことです。ここまでくると珍しい苗字は宿命だと思いました!

諸般の事情により10年前に地元武蔵野に戻り、父親の会社でありますウテナ産業(株)に入り、5年前に事業承継し今に至っております。会社は一人で運営しておりまして、業務内容は先祖から受け継いだ土地を有効活用し、オフィスビルをメインとした賃貸管理業務でございます。

最後になりますが、私は皆様と比べますと人生的にも未熟で、まだまだボクちゃんであります。皆様にご指導いただき、微力ではございますがロータリークラブの発展にお手伝いできればと思っております。

以上です。ご清聴ありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。