活動報告

私たち東京武蔵野中央ロータリークラブは、さまざまな職業のメンバーが
その経験と知識を生かして社会奉仕活動や人道的活動に取り組んでいます。

「米山奨学生 自己紹介」(2020/7/16)

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米山奨学生 馮 蓉さん

現在、中国国民は皆が心を一つにして、新型コロナウィルスの感染拡大を阻止する闘いに全面的に身を投じている。多くの国々や国際組織が様々な方法で中国への支持を表明している。日本もそうした支援国の1つだ。

日本政府は連日、マスクや防護服、防護ゴーグルといった感染エリアで非常に不足している物資を緊急調達し、チャーター機で武漢に輸送している。また東京都や大分県、熊本県などの地方自治体も惜しむことなく緊急時用の備蓄物資を放出し、日本企業も次々と義援金を寄せ、友好団体や一般市民も積極的に支援し、新型肺炎と闘う中国国民に貴重なサポートと私心のない援助を提供している。ある14歳の赤いチャイナドレスを着た日本人の少女が初春の寒風の中、何度もお辞儀をしながら中国のために義援金を募った姿は、中国の無数のインターネットユーザーの心を動かした。

中国社会科学院日本研究所の楊伯江所長は人民網の取材に対し、「雪中に炭を送った日本は、苦境にある隣国に対する善意と人道主義の思いやりを示して、中国各界から高く評価された。これは中日が苦楽を共にし、切り離すことのできない利益共同体であることを反映しているともいえる。中日は地理的に近く、その往来は密であり、中国の感染状況に対し、日本は対岸の火事と捉えて、自国の事のみを考えることはできない」とした。

私心無き心で人に接すれば、自ずと相手に真心が伝わる。この時期に武漢に寄せられた物資を前にした、中国国民の感謝の言葉の中には、日本側を我が事のように感じて心配する善意の忠告も添えられていた。「自分のことも気を付けて、桜の花が満開になるのを待とう」といった細やかで優しい気持ちに満ちたこうしたメッセージは、日本の心からの支援に対する中国国民の心のこもった返事と言える。外交部(外務省)の耿爽報道官は、「現在もなお中国国内の感染状況は厳しいが、我々は自国の新型肺炎との闘いに力を注ぐのと同時に、日本側と情報や経験をさらに共有し、かつ日本側の必要に基づき可能な限り支援したい。実際、双方はすでにこの方面における具体的な取り組みに着手している」と述べた。

「新型肺炎との闘いによって中日は、互いの距離がどれほど近いのかを身をもって知りつつある」とした楊氏は、「事実が証明しているように、自然災害や公衆衛生上の危機といった不幸な出来事は、しばしば中日に互いの距離がどれほど近く、関係がどれほど緊密であるかという認識を深めさせている。2008年の四川大地震や2011年の東日本大震災の時もそうだった。最も重要なのは、中日が災禍を前に『呉越同舟』という言葉にあるように、互いに見守り助け合い、『互助体験』を積み重ね続けることで、国民感情の優れた相互作用を実現し、関係改善を支える民意の基礎を固める後押しとすることだ」と指摘した。

外交部の華春瑩報道官は17日夜、自らの英語版ツイッターアカウントに日本語で、「私たちは日本国内の新型肺炎の感染状況を注視し、日本の皆さんと同じ気持ちでいます。中国はウイルスとの戦いに取り組むと同時に、情報と経験を日本側と共有し、できる限りの支援を提供していきます。双方はすでに関係分野における協力に着手しました」と投稿した。また「一衣帯水 守望相助」と筆で書いた画像に「一衣帯水の隣国として、何かあればお互いに助け合いましょう」と日本語で説明を加えた。

ウイルスに国境はない。「山川異域, 風月同天」(別の場所に暮らしていても、自然の風物はつながっている)や、「同舟渡海,中流遇風,救患若一,所憂同也」(同じ船で海を渡り、途中で波風に遭えば、誰もが同じことを心配しているので、皆が一致協力する)といった中国の古典に由来する二つの言葉は、現在の中日関係の真実の姿を描写していると言えるだろう。新型肺炎という共通の感染状況を前に、中日は互いに見守り、苦難の中で助け合って、共に桜の木々に花が咲き誇り、山も川も穏やかな春の訪れを待っている。(2月19日)

3月17日、在名古屋中国総領事館は名古屋市立東部医療センターに医療用マスク3万枚を寄贈した。その段ボール箱には「霧尽風暖、桜花将燦(霧が晴れ、吹く風も暖かくなり、桜の季節が近づいている)」というフレーズと共に、俳人・小林一茶の「花の陰 あかの他人はなかりけり(咲き乱れる桜の木の下では人々は桜を愛でる心を共有している。その心のつながりを考えると、あかの他人とはいえないだろう)」という俳句も添えられていた。

3月16日、遼寧省が北海道に寄贈した物資には、「鯨波万里、一葦可航、出入相友、守望相助(大波で遠く隔てられているものの、船でたどり着けるほど近い。外に出る時も戻る時も互いに友人のように接し、共に見守り助け合おう)」というメッセージが書かれた紙が貼られていた。この「出入相友、守望相助」という言葉の出典は戦国時代の「孟子·滕文公上」だ。