「メンバーズデー(6月)」(2025/6/5)
メンバーズデー(6月)につき、”6月のお祝い”と”会員スピーチ”をおこないました。
*6月のお祝い(会員誕生日、ご夫人お誕生日、ご結婚記念日、皆出席賞、その他のお祝い)
おめでとうございます。

*ロータリーの友 6月号読み合わせ/鈴木会長エレクト

*会員スピーチ/清本会員(2003年4月入会)

「境の生い立ち」
①1590年(天正18年)
徳川家康の江戸人国
②慶安年間(1648〜1652年)
出雲松江藩初代藩主、松平出羽守直政は徳川幕府直領地であった境の地に120町四方(約13㎞)の御用屋敷を設け鷹狩場とした。直政はその御用屋敷内に出雲の杵築大社(現在の出雲大社)を勧請した。その後30年余り過ぎに、この地が幕府直領となったが、この御用屋敷を預かっていた、松平出羽守の家来、境本締馬太夫(キョウモトチマダユウ)は、屋敷内にその隠居屋を造っていた。境本は上地内に12町四方に居残って自ら長百姓となって開発したいと願出て許された。
③承応2年(1653年)
幕府により江戸の人口増加に伴う飲料水確保のため上水開削が計画され、工事の総奉行に時の老中川越藩主の松平信綱、奉行に、伊奈忠治が就き、庄右衛門・清右衛門兄弟(この功績により玉川姓が与えられた)が請け負った。
④境村の歴史
境村は現在の玉川上水の南にあり、その東側は正保年間(1644〜1648年)杵築神社のある境本村で、西側はその後享保年間(1716〜1736年)開発された境新田その後、檜原関係者による開発と続いた。
⑤地名の由来
境本村では古くから住んでいたものを六人衆といい、秋元、猿渡、清本、平野、小林、新倉を苗字とする六件の家があり、この中で境本締馬太夫の末裔が境本→清本だと言われています。
この六人衆は西東京市(保谷)の寶光院の檀家で、保谷からの出百姓で境本と協力して境本村の開発に従事したものと思われます。境村の境本村は、村の発祥地で村名も開発者の境本からきているものと言われています。
⑥明治22年(1889年)甲武鉄道開通
甲武鉄道が新宿、八王子間に開設され最初に出来た停車場は、中野、境、国分寺、立川の4か所でした。吉祥寺停車場は明治32年、三鷹,駅は昭和5年に開業しました。