「メンバーズデー(2月)」(2026/2/5)
メンバーズデー(2月)につき、”2月のお祝い”と、”会員スピーチ”をおこないました。
*2月のお祝い(会員誕生日、ご夫人お誕生日、ご結婚記念日、その他のお祝い)
おめでとうございます。

*会員スピーチ
「それぞれの歩み」 上村雄亮会員(2023年7月入会)

2025年は昭和100年、戦後80年、そして弊社が民営化して40年の節目となりました。この節目の年として、きょうは「それぞれの歩み」と題して、電話のこと、会社のこと、そして自分自身のことを、順を追ってお話します。
【電信・電話の歩み】
まず、電信・電話の歴史です。遡ることペリー来航の頃からとなりまして、幕末から明治にかけて日本で初めて電信回線が開通しました。ここから時が経ち、「すぐつながる電話」となったのが1950年代、これまで電話交換手を通していた通話も、ダイヤルを回すことで相手に電話ができるようになりました。みなさんも壁掛電話機を見られたり、実際に使われたりされたこともあったかと思います。そして1960年代に入り、おなじみの黒電話が登場。この頃には電話が「一般的な通信手段」となっていきました。わたしが初めて使った 電話もこの黒電話、そして何よりも通話品質が良く、会社の先輩方・OB等の方々からも黒電話の思い出をよく伺います。

そしてここから技術の進歩が目まぐるしく、1960年代後半にはポケットベルが登場し、「移動しながら」連絡が取れる環境となりました。当時は主に営業担当者が利用していましたが、すぐに若者に拡がり、公衆電話でプッシュボタンを押して相手にメッセージを届けるシーンなど、懐かしい話です。さらには「富裕層のステータス」である自動車電話、携帯型のショルダーホンが登場しました。両手で使うくらい大きな物で、いまでは考えられない大きさです。さらに、いよいよ「持って歩ける」携帯電話の登場です。すでにガラケーと言われていますが、携帯電話でインターネットが利用できるなど、画期的なところもありました。ちょっとビジネスでは浮き沈みが激しかったiモードなどもこの頃に登場したサービス です。

そして一気にインターネット時代。最初は大きなPCを電話とモデムで接続し、特に「ピー、ヒョロロロ~」というダイヤル接続の音を鳴らしながらインターネットに接続するのを待ったことを今でも 覚えています。いまではみなさんもお使いのスマホ、そしてさらにインターネットの世界はPCやスマホだけでなく、あらゆる機器と接続されています。ATMやクレジットカードでお金のやり取りができたり、信号機が制御できたり、「何とでもつながる」そんな世の中になりました。

【会社の歩み】
さて、ここまで電話の歴史を振り返ってきましたが、わたしの会社の変遷もご紹介します。前身は逓信省、電気通信省、そして1952年に電電公社となりました。この電電公社のマーク、いまでも古いマンホールの蓋に描かれているものがありますので、ぜひ道路等で見かけた際には「これか!」と思い出してください。そして1985年に民営化・日本電信電話株式会社となり、昨年には民営化40年を迎えました。
いまでは、電信や電話といったことば自体も、時代や会社の戦略と合わなくなったことも加速して、昨年に「NTT株式会社」に社名変更しました。少しマイルドなロゴとなり、お客様に名刺をお渡しした際などには「なんかやわらかな印象になりましたね」と声をかけていただけることも多いです。

【わたしの歩み】
ここでわたし自身のことにも触れていきます。わたしは苗字も名前も読んでいただけないことが多いので、名刺などには必ずふりがなを入れ、話題にして自己紹介しています。住まいは練馬区・石神井公園、好きなことはテニス、最近行けなくて残念ですがハワイ旅行、そして練馬でワイン造りをしています。練馬で育てるブドウ、そしてそのブドウを潰してワインを醸造していく活動に、ボランティアとして参加しています。
仕事としては、これまで営業、経営戦略、法令対応、人事、セキュリティ、そしてダイバーシティ&インクルージョンの分野を経験し、いまの仕事に至っています。また、副業のキャリアコンサルタントとしては、さまざまな方とともにキャリアについて考える機会があり、やりがいを感じている現在です。


【まとめ】
そして再び、会社の話に戻ります。歴史をさかのぼり、武蔵野研究開発センタの敷地は、もともと中島飛行場の工場であった場所・跡地に設けられています。

敷地内には桜の木をはじめ、四季折々の景色がありますし、技術資料館の見学もできますので、機会をつくり、ぜひお越しいただきたいと考えています。

